おばぁの「なりやまあやぐ」。。。

『和おん』小太郎

2015年08月25日 10:45

この島へ移住した時から、
ずっと気になっていた島。
でもこの場所へは、なにか「御縁」がなければ、
軽々に渡るべきではない、と思っていました。
やがて、ゆかりと一緒になり、レオが生まれて、
2008年の正月、「紡がれた縁」に誘われ、、
初めてこの島の地を踏みました。



当初のこのブログに、その時の気持ちが綴られています
http://twobig.ti-da.net/d2008-01-03.html

まだ船も古く桟橋もなく、港に直接船を着け、
海中から続く階段を登っての『初大神島』でした。
正月に集まったゆかり方の親族にまぎれて
『男衆』は座を囲み、『女性のみんな』は、酒と食事の支度・・
その中で、ゆかりのおばぁが、初めて見る曾孫のレオを
笑顔で「抱っこ」してくれました。

当たり前ですが、宮古いや大神の「言葉」で『宴』は賑わいます。
そんな中私は、みんなが笑えば一緒に笑い、、
「小太郎、俺たちの言っていることが解かってるか?」
・・・なんて、からかわれたりしながらも、、
話しの内容は解からずとも、、
その場にいられる事が嬉しかったのです。

そんな楽しい「宴」の席に、何か自分で出来る事
・・・と考え、私は持参した木製三線で
「なりやまあやぐ」を弾いきました。
すると、すぐにおばぁが一緒に歌いだします。
何番も何番も、繰り返し。。
そして聞いていた男衆も続きます。
まさに、ズミィな瞬間でした。
小さな離島のさらに小さなこの島で、
普通の「生活空間」で、普通に歌われる「民謡」
これこそまさに、本物の島の「唄三線」なんだ!って。
この日ほど、三線をやって来て良かった
・・・と思った日はないし、
この出来事が「今」に繋がっていると思います。



2008年の正月以降。
ご縁の繋がった私、そしてこの島で育ったゆかりと、、
我々自身で、この島へ出来る事は?
・・・と考え、「敬老会」「海神祭」「御正月」,,,etc
この小さな島の「イベント」事には、歌わせていただくようになりました。
そしてその度に、レオやのんの曾孫達を笑顔で抱き上げ
私の拙い三線で「なりやまあやぐ」を歌ってくました。
これからずっと、この島に住んでいく者として
大神島の「おばぁ」の存在は、
私にとって、かけがいのないものになったのです。

2015年8月24日朝、おばぁは永眠しました。
ほんの何日か前、古謝美佐子さんが大神島を訪れ、
おばぁの家で唄ってくれた、その曲が・・・
この「なりやまあやぐ」でした。
美佐子さんの唄に合わせて、一緒に続くおじぃの姿を見て、
おばぁの「デジャブ」を見ているように感じました。

入院しているおばぁに聴かせたかったこの曲を、
記録した動画で、おばぁに聴かせてあげようと思います。
そして・・・過日の晩、美佐子さんに言われたひと言
「それでも、孫のゆかりが歌うこの曲が、
おじぃや、おばぁには、、何よりの一番なんだよ、忘れるな・・」
との教えに従い、この曲で「見送り」たいと思います。

さぁ、おばぁの霊前にまた行って来ましょうね。
そして今日から、しっかりと「営業」を始めましょう。
きっとそれを、おばぁも望んでいるはずですから。

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