運動会に『クイチャー』の輪を、再び...♪
『クイフェス実行委員会』...の会合で
今、「一番の議題」としているのが、
ほんの少し前?には、当たり前のように
運動会の「締め演目」として広がっていた
『クイチャー』の輪を、小学校の校庭に戻したい!
...という『目標』にむけて! が、語られています。
去る、2014年の夏休み後の新学期、
私がこの島に移住して初めて授かった
息子が入学したM小学校
・・・の校長先生から手紙をいただきました。
内容は、来る秋の『運動会』の最終演目
『クイチャー』の生演奏出演
依頼の「お話し」でした。
有り難くも、謹んでお受けして、、
同じ保護者でもあり、友人であった
辺士名さんの三線、當間さんの太鼓
そして私とゆかりさんの、ギター&囃子/三板で
「地謡チーム」を結成しての参加
・・・と相成りました♪
この運動会が私にとっては、我が息子の
この島における初の「小学校運動会」経験
・・・であり、僭越にも自分の紡ぐ音で
在校生徒全員はもちろん、保護者・教員
そして来賓の人も混ざり、、
赤い土の校庭いっぱいに広がった
700人もの大きな『輪』が広がる光景。。
弦を弾きながら、心から感動しました。
この島にしかない文化を
小学校の6年間、運動会の最後に、、
大人も子供も両手を上げて、
大地を蹴って、1つになって踊る!
きっと子供達は、この光景を、ずっと。。。
この島を離れたとしても、『誇り』と感じて
そして、故郷を想う時に、忘れなかった
島の文化を思い出すんだ!…とね。
自分の息子の演目...以上に感激した
この島にしかない「文化」クイチャーが
広いグラウンドに広がる光景を目の当たりにして
宮古に来てよかった!…と、感慨深く
南の島の「文化継承」の念に感動しました。
そして、ほんの少し役に立てるなら
・・・来年もまた、地謡として
参加していきたい、、と誓いました。
だったのですが・・・その翌年、自宅の転居により、、
思い出深いM小学校を転校し
新たなH小学校で見た運動会では。。
全体演舞はおろか、6年生での演舞でも
『クイチャー』の演目は無く
子供達の『エイサー』の演舞が披露されていました。
無論「エイサー」が悪いわけでは...ありません
が、私の子供の最初の小学校でやっていた
親も子供も教師も保護者もみんなが、
1つになってやる「クイチャーの大きな輪」が
どこの小学校でもやっていると思っていた私には
大きな衝撃...だったのです。
せっかくこの島にしかない文化がありながら
聞けば、少し前にはどこの小学校でも
『当たり前』のように、広がっていた
「クイチャーの輪」が、ここ最近において、、
急速に減り始めているらしい、というか
今やほとんどの学校で「エイサー」になっているらしい。
島の中で消えていく『みゃ~くふつ』(方言)のように
姿を消していく「文化」に憂いを感じないのか?
炎天下の中、テントの下に集まるオジィやおばぁ、、
親族一同が集う宮古島の運動会の中に
見る事が出来なくなったクイチャーに
寂しさを感じている島人は、きっと少なくないはず。
小学生の頃、好きでも苦手でも、友達や先生と
お父さんやお母さんと、島の人達と一緒に
6年間一緒に踊った「クイチャーの輪」は
きっと生涯心に残り、この島に生れた者としての
「大きな誇り」に変わっていくはず…だと。。
だからこそ、今また全体演目にクイチャーの復活を
そしてこの稀有な宮古の文化に、もっと、、
興味を持ってもらうための『エイサー』ではなく
雄々しく勇壮にして保護者達が喜び
子供達がこの島に誇りを感じる『創作クイチャー』を…
6年生の演舞として。。
そんな想いが、我々実行委員会の願いと固まり
クイフェスの開催…だけにとどまらず
「今」我々自身が「出来る事」を1つ1つ模索しながら
1年間における活動をしていきたい、と思う昨今なのです。
今、「一番の議題」としているのが、
ほんの少し前?には、当たり前のように
運動会の「締め演目」として広がっていた
『クイチャー』の輪を、小学校の校庭に戻したい!
...という『目標』にむけて! が、語られています。
去る、2014年の夏休み後の新学期、
私がこの島に移住して初めて授かった
息子が入学したM小学校
・・・の校長先生から手紙をいただきました。
内容は、来る秋の『運動会』の最終演目
『クイチャー』の生演奏出演
依頼の「お話し」でした。
有り難くも、謹んでお受けして、、
同じ保護者でもあり、友人であった
辺士名さんの三線、當間さんの太鼓
そして私とゆかりさんの、ギター&囃子/三板で
「地謡チーム」を結成しての参加
・・・と相成りました♪
この運動会が私にとっては、我が息子の
この島における初の「小学校運動会」経験
・・・であり、僭越にも自分の紡ぐ音で
在校生徒全員はもちろん、保護者・教員
そして来賓の人も混ざり、、
赤い土の校庭いっぱいに広がった
700人もの大きな『輪』が広がる光景。。
弦を弾きながら、心から感動しました。
この島にしかない文化を
小学校の6年間、運動会の最後に、、
大人も子供も両手を上げて、
大地を蹴って、1つになって踊る!
きっと子供達は、この光景を、ずっと。。。
この島を離れたとしても、『誇り』と感じて
そして、故郷を想う時に、忘れなかった
島の文化を思い出すんだ!…とね。
自分の息子の演目...以上に感激した
この島にしかない「文化」クイチャーが
広いグラウンドに広がる光景を目の当たりにして
宮古に来てよかった!…と、感慨深く
南の島の「文化継承」の念に感動しました。
そして、ほんの少し役に立てるなら
・・・来年もまた、地謡として
参加していきたい、、と誓いました。
だったのですが・・・その翌年、自宅の転居により、、
思い出深いM小学校を転校し
新たなH小学校で見た運動会では。。
全体演舞はおろか、6年生での演舞でも
『クイチャー』の演目は無く
子供達の『エイサー』の演舞が披露されていました。
無論「エイサー」が悪いわけでは...ありません
が、私の子供の最初の小学校でやっていた
親も子供も教師も保護者もみんなが、
1つになってやる「クイチャーの大きな輪」が
どこの小学校でもやっていると思っていた私には
大きな衝撃...だったのです。
せっかくこの島にしかない文化がありながら
聞けば、少し前にはどこの小学校でも
『当たり前』のように、広がっていた
「クイチャーの輪」が、ここ最近において、、
急速に減り始めているらしい、というか
今やほとんどの学校で「エイサー」になっているらしい。
島の中で消えていく『みゃ~くふつ』(方言)のように
姿を消していく「文化」に憂いを感じないのか?
炎天下の中、テントの下に集まるオジィやおばぁ、、
親族一同が集う宮古島の運動会の中に
見る事が出来なくなったクイチャーに
寂しさを感じている島人は、きっと少なくないはず。
小学生の頃、好きでも苦手でも、友達や先生と
お父さんやお母さんと、島の人達と一緒に
6年間一緒に踊った「クイチャーの輪」は
きっと生涯心に残り、この島に生れた者としての
「大きな誇り」に変わっていくはず…だと。。
だからこそ、今また全体演目にクイチャーの復活を
そしてこの稀有な宮古の文化に、もっと、、
興味を持ってもらうための『エイサー』ではなく
雄々しく勇壮にして保護者達が喜び
子供達がこの島に誇りを感じる『創作クイチャー』を…
6年生の演舞として。。
そんな想いが、我々実行委員会の願いと固まり
クイフェスの開催…だけにとどまらず
「今」我々自身が「出来る事」を1つ1つ模索しながら
1年間における活動をしていきたい、と思う昨今なのです。
↓ご来店の際はお間違えのないようご注意下さい↓