『君死に給ふことなかれ』古川薫先生と。。

『和おん』小太郎

2015年07月29日 08:39

この島に移住して丸10年。
・・・でも、私自身知らなかった
宮古島の史実がありました。
昨夜『直木賞』作家である
古川薫先生が、御来店されました。




お迎えするにあたり色々と調べて、初めて知りました。
「神風特別攻撃隊」第三次竜虎隊が、
最後の「日本の土地」として飛び立った、
その場所は・・・宮古島だったと。

そしてその日がちょうど70年前のこの日であった訳で、
だからこその、この日に「先生」は宮古入りなんだ・・と
私が勝手に「想像」をして、先生をお店にお迎えしました。



ライブをスタートし、途中しっかりと聞き入って下さる先生。
そして「カチャーシ」を齢90の御身を立たせて踊る先生を確認しながら



最後の曲に「島唄」を決めて、唄う前に、、
ほんの少し私自身の「戦争」と「平和」への私見を、
古川先生を含め、みんなに聞いていただきました。
そして『島唄』を気持ちのままに唄いました、こう告げて。。
「ブームというバンド編成で唄われているこの曲は、
一見盛り上がる曲にも聞こえますが、実は「平和」を願う気持ちが、
しっかりと込められた『メッセージソング』なんです」。。。と




唄い終えると「古川先生」が、両手を叩きながら
周りのみんながビックリするほどの大きな声で、
「ブラボー!!」と声をかけて下さいました。
そして先の「私の考え」は『その通り』であった事が分かりました。
やはり先生は「この日」に合わせて宮古入りしたんです。



ほんの少し「太平洋戦争」について知識のある私は
『特攻』の最後期には、練習機である「赤とんぼ」まで
使用されていた・・と言う事は知っていました。
でも、、その部隊(竜虎隊)が最後に地を蹴って
出撃したのは『宮古島』であったとは。。

先生の新たに執筆された
『君死に給ふことなかれ』の刊行をきっかけに
色々と調べるうちに、初めて知りました。
10年間、この島に住んでいる者として、
ちょっとした「衝撃」でもありました。

詳しい事は以下を参照にされて下さい。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-964.html
http://hino.anime.coocan.jp/miyakojimanohi/sensounohi-2.htm
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/k-peace/2015/06/19103810.shtml

『御縁』が紡がれ古川先生の今回の新刊を知り、、
素直な気持ちで、是非とも拝読たいと思いました。
残念ながら発売されたばかりの『新刊』なので、
まだ宮古島には入ってきておらず、予約をしましたが。
http://s.gentosha.jp/index.php?dispatch=products.view&product_id=2704

ライブを終えて、先生の『お付き』の方から、、
「明日の『慰霊の集い』の時に、さっきの唄を歌って欲しい」
・・・との『驚き』の依頼をいただきました。
それはビックリしましたが、僭越ながら謹んでお受けいたしました。


戦後70年、もうすぐ「終戦記念日」の8月がやって来ます。
私が子供の頃からずっと聞きたいと願っていた
母の「東京大空襲」の体験談を、
あれほど「話し好き」の母が口を閉ざし続けていたのに、
10年前、私が宮古島へと移り住む前夜に・・
ポツポツと、淡々と、、でもそれは凄くリアルに。。
話してくれたあの夜の事を、思い出しました。
その体験談は、『写真』や『映画』なんかは、
及びもつかない「現実感」のある『語り』で、私の心を切りつけました。
凄いショックと同時に、でも「聞いておいてよかった」とも、思いました。
そして母も、いつの日か『この話し』を私に聞かせたい
・・・と、考えていたんだと思うんです。

本当の意味で、こうした「体験談」を、、
きっと誰にも語りたくない、思い出したくない「過去」を
でも、自分が生きているその間に「伝えなければ」ならない
・・・そう思われている、80代後半から90代の諸先輩の皆様。
そんな「親」や「祖父母」を持っている我々は、
「この話し」に耳を傾ける義務があると思うんです。
そしてそれは、あとわずかの期間に与えられた、
「これから」を生きていく私達の権利かもしれません。

「だからみんな、もっともっと
オジィやおばぁの『話し』を聞くべきよ!」

そう今宵のお客様にメッセージして、ステージを終えました。



今回『近畿日本ツーリスト』下関支店の『御縁』を通じ
古川先生とその著書に出逢えた事を、深く感謝いたします。
なんかいつもと少し違う夜でしたが、、



東京・大阪・埼玉・長崎・神奈川・下関・・そして宮古のメディアの皆様
初めての『出逢い』&たくさんの「お帰りなさい」に囲まれて
ありがたきかな、1階席・カウンター・2階席・アリーナ
すべて「満席御礼」の中、ズミィに素敵なチューズデーナイト
いつもの言葉を皆様へ、、、
プカラス、たんでぃ~が~たんでぃ~!




そして70年前の「1945年7月29日」へ、合掌。

先生にいただいた「色紙」は
お店の、そして私の「宝物」にしたいと思います。






さぁ、今日はお昼前に、、
宮古島から飛び立った「英霊」の前で・・
厳かに、唄ってきましょうね。

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