『境界線』。。

『和おん』小太郎

2013年09月14日 12:02

あの『震災』から、2年半・・なんて報道が流れる中
この2年半という期間中
被災された皆様も、我が店へ、、
少なからず、随分と訪れてくれたよなぁ。。
なんて思いつつ。

その日の夜、「満席御礼」の賑わいを見せた店内
ひとしきり、唄って踊って、、『輪』になって。。
そんなステージを終えて、
ある2人のお客様と『ユンタク』をしました。

「九州からですよね、『お仕事』での宮古島ですか?」
と聞けば、「実は・・・」
先の震災のまだ見つからぬ『御霊(ご遺体)』の
調査(収容)の仕事をされている、、とお話しされていました。
北は北海道から、この南の果て宮古島まで
2年半の間ずっと続けているそうです。
そしてこれからも、まだまだ。。

あれから2年半。
もう2年半なのか・・
それとも、まだ2年半なのか?
その人の『立場』で考えは様々でしょう。



宮沢和史さんが
『島唄』を発表されて20年
新たに、この20年目を迎えて
再びレコーディングした音源を発表されました。
発売に先立ち、宮沢さんの『コメント』に
「沖縄に本当の平和が訪れるまで、私はこの曲をずっと唄い続けます・・」
との内容の言葉が語られていました。

いまだ終わらない「沖縄」の戦後。
どこが始まりで
いつが終わりで・・なのか
その「境界線」は、誰にも決められません。
当たり前だよね、そこには、、
みんなそれぞれの「想い」があるんだから。

でも1つ、変わらないこと。
そして変わってはいけないことは、
「決して忘れない事」
「今の自分に何が出来るか・・想うこと、
そして、考える続ける事」
なんだと思います。

ひとしきり唄って踊って、「笑顔」満開で、、
「いやすごく、楽しかったよ、また必ず来ますから」
・・といってお店を後にする九州男子2人を見送り
その後のステージでは、宮沢さんのコメントを添えて
「島唄」を歌い終えた後、、
何人かの人が「涙」しているのが、目に留まりました。

何が出来ている私ではありませんが、
記憶の底にとどめて置くように
いつまでも忘れないように
今の私にできることは、、
一生懸命唄う事・・ぐらいですからね、やっぱり。

そして第2ステージではさらに大きく
「輪」になって、みんなで一緒に踊りました。
両手を挙げながら、皆様のたくさんの「笑顔」を見つめながら
たくさんの事に感じ入りながら、三線を弾きました。

「平和」は何よりも尊く
そして「笑顔」は、たくさんの元気を与えてくれます。
心に残る、良い夜でした。


さて明けて金曜ナイトの我が店『和おん』
昨日の長い長い第2ステージで『喉』が完全に悲鳴をあげていますが
今宵はフライデーナイト!
相方ベースマンか~ずと、
ジャンベウーマンManamiのいる・・
『愛音(カノン)』@バンドバージョンの日♪



私自身も楽しもう!・・と思いきや
「予約」1件のみから
怒涛の入店ラッシュ♪
とにかく「全力営業」でライブを始めれば、、



三線&ギター&ベースの『弦楽三重奏』から
三板講座&パフォーマンスを経て
でも入店は続きオーダーは止まらず
嬉しい悲鳴をあげつつ。。



ジャンベを加えて『生音』バンド島唄ライブ♪
・・になったのは、第2ステージの後半戦



そして今宵も唄って踊って
ぐるっと廻って



みんなで一緒に
アリィ乾杯!



楽しんでいただきました皆様は、、
東京・神奈川・埼玉・福岡・兵庫・群馬・横浜
北海道・沖縄本島・大阪・愛知
・・・と全国各地から、地元宮古まで
気付けば50名近いご来店♪
「満席御礼」
ありがとぉ~~!



私の従兄弟友達Drファミリーさん
社員旅行でのご一行様
1年ぶりの「お帰りなさい」は、ご主人とご一緒に
カップルでの宮古上陸さん
「お仕事」宮古の夜を楽しむ皆様
初宮古上陸のご夫婦
家族親族での宮古旅行の皆様
我が店「和おん」の応援団長
・・・・率いる「スカイマーク」軍団御一行様

今宵も「アンコール」どうもありがとう!
ヒリヒリ喉は、極まっているけど
みんなの熱い手拍子、指笛、、
そして楽しい「カチャーシ」。。!
今宵も楽しい夜になりました♪




たんでぃ~がたんでぃ~
ぷからすよぉ~!



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