盟友へ、『10周年』』記念式典に贈る言葉。
先に行われた「男塾武-Doo」10周年、
そして「チームBP」5周年の記念式典につき
心より、お祝い申し上げます。
盟友である前里昌吾代表、おめでとうございます。
そして私のような者に、末席の参列賜り、
心より感謝御礼申し上げます。
この晴れやかな「記念式典」に参加させていただき、
私が一番思い起こすのは・・・・
武Doo6周年BP1周年の記念公演の事になります。
盟友ともいえる昌吾と、2人で語り合った『夢』でもあった
創作エイサーの地謡として、生バンドでのコラボを実現しようと、
出演させていただくことになりましたが、その公演前日に母が亡くなりました。
勿論迷いはありましたが、何より母が好きだった『音楽・芸能』
亡くなった母の供養にもなるはず..との父の言葉に背中を押され
想い新たに、ステージに立ちました。
それまで泣く事も忘れていた私が、この公演中に・・・
そして子供達の心ある演舞を急に感極まり、舞台の袖で泣きました。
色々な意味で、それほどの大きな感動を与えてくれた、この公演
昌吾との約束を、『三線の花』のコラボを果たせた、忘れ得ぬ夜となりました。
そしてもう1つは、一昨年の、クリスマスの夜。
中央公民館で実現したレキオスとBPとの競演
先のマティダの記念講演の後に、昌吾と交わした新たな約束。
この次は、宮沢さんの「この曲」をコラボしよう・・・と、、
BPから卒業する子供達を送る意味もあった、この公演で
またバンドの地謡としてステージに立たせていただきました。
昌吾が愛し、皆様からも愛されたBPの卒業生を送り出す気持ちで
宮沢さんの「世界で一番美しい島」を、歌うその時、、
数年前にマティダでコラボした時、まだ幼さ残る子供達だった彼等は・・・
心身ともに雄々しく成長して、今旅立つその瞬間に
この曲で彼等と供にステージに立てた事は、今でも私の誇りです。
代表である昌吾は、いつだってまずは自分が、
一番最初に立って、範を示します。
その背中を子供達に見せた上で、、、
彼自身の意思を想いを上位者のBPに、引き継がせる。
つまりはBPに武Dooの演武指導をもしっかりと委ねる。
小さな子供達は、大きな先輩達に憧れ上を目指し
やがて自分がその立場に立った時、その想いをまた下に託す。。
そしてそのすべての子供達の想いを、保護者がしっかりと支える
この『在り方』こそが、この団体の稀有にして大きな財産だと思うんです。
10周年を迎え、その所属人数は100人を大きく超えたと伺っています。
島の人達からずっと請われてきた「女子」の団体「『かぎざ』もスタートしました。
そして新たなる大きな構想、創作芸団『んきゃ~んじゅく』の創設。
私はしっかりと断言して言えると思うんです。
前里昌吾は、今でも十分に宮古の芸能文化の欠かせない人物だと思いますが、
やがて50年、そして100年と時を経てもなを、この島宮古の
芸能文化を支え牽引した『人物』として、歴史に名を残す者となると思うのです。
それ程の努力と情熱をもって、生きている男だと思うんです。
まさに、そんな彼を応援し支える皆様が、大きな節目となる
「記念式典」を沢山の方が見守り、見届けた、、そんなひと時でした。
この会場に、昌吾にエイサー文化を下ろし、授けたレキオス照屋忠敏さんが、
クイチャーフェスティバルを引き継がせた、下地暁さんが、
何度となく自主公演に参加及び尽力して下さった、城間健一さん、日出克さんが
宮古の文化芸能に尽くす、最大の理解者であり、ご協力賜った大城署長が
そしてこの島のために「みるく世のクイチャー」を提供して下さった宮沢和史さんが
・・こうしてこの『式典』のために、皆様にお運びいただける
昌吾は本当に「幸せ者」だと思います。
盟友として、10個も歳下でありながらも、心より尊敬してやまない昌吾へ
重ねまして、10周年そして5周年、おめでとうございます!
この日ここに集いし皆様は、これからもきっと・・・
「武Doo」そして「BP」に変わらぬご愛顧とご協力を惜しまないでしょう。
この島宮古の文化芸能の発展、そして健全なる人材育成のためにも
さらなる宮古島の未来に向けて、まだまだ走り続ける昌吾であれ!
微力ながら、これからも影より応援する、、、友人より。
・・・とても素敵な感謝状、どうもありがとう。
ちゃんとあの日の夜から、店に飾ってあるんだぜ♪
☆長文乱文にて、失礼致しました。
そして「チームBP」5周年の記念式典につき
心より、お祝い申し上げます。
盟友である前里昌吾代表、おめでとうございます。
そして私のような者に、末席の参列賜り、
心より感謝御礼申し上げます。
この晴れやかな「記念式典」に参加させていただき、
私が一番思い起こすのは・・・・
武Doo6周年BP1周年の記念公演の事になります。
盟友ともいえる昌吾と、2人で語り合った『夢』でもあった
創作エイサーの地謡として、生バンドでのコラボを実現しようと、
出演させていただくことになりましたが、その公演前日に母が亡くなりました。
勿論迷いはありましたが、何より母が好きだった『音楽・芸能』
亡くなった母の供養にもなるはず..との父の言葉に背中を押され
想い新たに、ステージに立ちました。
それまで泣く事も忘れていた私が、この公演中に・・・
そして子供達の心ある演舞を急に感極まり、舞台の袖で泣きました。
色々な意味で、それほどの大きな感動を与えてくれた、この公演
昌吾との約束を、『三線の花』のコラボを果たせた、忘れ得ぬ夜となりました。
そしてもう1つは、一昨年の、クリスマスの夜。
中央公民館で実現したレキオスとBPとの競演
先のマティダの記念講演の後に、昌吾と交わした新たな約束。
この次は、宮沢さんの「この曲」をコラボしよう・・・と、、
BPから卒業する子供達を送る意味もあった、この公演で
またバンドの地謡としてステージに立たせていただきました。
昌吾が愛し、皆様からも愛されたBPの卒業生を送り出す気持ちで
宮沢さんの「世界で一番美しい島」を、歌うその時、、
数年前にマティダでコラボした時、まだ幼さ残る子供達だった彼等は・・・
心身ともに雄々しく成長して、今旅立つその瞬間に
この曲で彼等と供にステージに立てた事は、今でも私の誇りです。
代表である昌吾は、いつだってまずは自分が、
一番最初に立って、範を示します。
その背中を子供達に見せた上で、、、
彼自身の意思を想いを上位者のBPに、引き継がせる。
つまりはBPに武Dooの演武指導をもしっかりと委ねる。
小さな子供達は、大きな先輩達に憧れ上を目指し
やがて自分がその立場に立った時、その想いをまた下に託す。。
そしてそのすべての子供達の想いを、保護者がしっかりと支える
この『在り方』こそが、この団体の稀有にして大きな財産だと思うんです。
10周年を迎え、その所属人数は100人を大きく超えたと伺っています。
島の人達からずっと請われてきた「女子」の団体「『かぎざ』もスタートしました。
そして新たなる大きな構想、創作芸団『んきゃ~んじゅく』の創設。
私はしっかりと断言して言えると思うんです。
前里昌吾は、今でも十分に宮古の芸能文化の欠かせない人物だと思いますが、
やがて50年、そして100年と時を経てもなを、この島宮古の
芸能文化を支え牽引した『人物』として、歴史に名を残す者となると思うのです。
それ程の努力と情熱をもって、生きている男だと思うんです。
まさに、そんな彼を応援し支える皆様が、大きな節目となる
「記念式典」を沢山の方が見守り、見届けた、、そんなひと時でした。
この会場に、昌吾にエイサー文化を下ろし、授けたレキオス照屋忠敏さんが、
クイチャーフェスティバルを引き継がせた、下地暁さんが、
何度となく自主公演に参加及び尽力して下さった、城間健一さん、日出克さんが
宮古の文化芸能に尽くす、最大の理解者であり、ご協力賜った大城署長が
そしてこの島のために「みるく世のクイチャー」を提供して下さった宮沢和史さんが
・・こうしてこの『式典』のために、皆様にお運びいただける
昌吾は本当に「幸せ者」だと思います。
盟友として、10個も歳下でありながらも、心より尊敬してやまない昌吾へ
重ねまして、10周年そして5周年、おめでとうございます!
この日ここに集いし皆様は、これからもきっと・・・
「武Doo」そして「BP」に変わらぬご愛顧とご協力を惜しまないでしょう。
この島宮古の文化芸能の発展、そして健全なる人材育成のためにも
さらなる宮古島の未来に向けて、まだまだ走り続ける昌吾であれ!
微力ながら、これからも影より応援する、、、友人より。
・・・とても素敵な感謝状、どうもありがとう。
ちゃんとあの日の夜から、店に飾ってあるんだぜ♪
☆長文乱文にて、失礼致しました。
↓ご来店の際はお間違えのないようご注意下さい↓